Genius 1 Read On! 2 単語の意味&本文和訳 保存倉庫
Read On! 2
Teacher on Wheels
チャリ先生
Armed with a chalkboard and a bicycle, this educator goes wherever he’s needed.
黒板と自転車を用意して、この教師は必要とされるところならどこにでも行っちゃいます。
Part 1
アーネル・ラプランは貧しいときに質の良い教育を受けることがいかに大変か知っています。アーネルさんは、(首都)マニラから30kmのところにあるゴミゴミした町ロザリオで育ちました。1970年にパパが死んでからは、5歳のアーネルさんは家族を支えるのを手伝うために屋台で働かなければいけませんでした。
アーネル少年が学校に行きたがったので、ママはついに(折れて)家の近くの公立の学校に行かせてくれました。「僕は勉強できて幸せだったけど、学校に行く前に家事を全部やるために(それまでよりも)もっと早く起きなきゃいけなくって、生活は(前よりも)きつくなりました」とアーネルさんは語ります。
アーネルさんは、こなさなければいけない仕事が一杯あって疲れ果てていました。そんなわけで、5年生になるまでには、もうやめてしまおうとしていました。そのときです、先生がアーネルさんの人生を変えるようなことを言いました。「ある日、先生はクラスに向かって、もし勉強すれば、みんな成功するんだよと言いました。この一言で僕は(それまでより)もっと一生懸命に勉強するようになりました」と、アーネルさんは言います。
アーネルさんはクラスでトップ(の成績)で高校を卒業して、マニラにあるフィリピン・ノーマル大学から奨学金を受け、1985年に教育の学位をとって卒業しました。アーネルさんはマニラの私立男子校で数学を教える仕事に就きました。夜には学校の成人クラスで教えるボランティアをしました。アーネルさんは次のように説明しています。「こうした(夜間の)授業に出席する大人の人は、貧しい家庭出身で、まだ小さいときには、学校に行く代わりに働かなければいけなかったんです。みなさん(成人)の年齢になって高校の教育を受けるために、どれほど一生懸命に勉強するか、その(勉強の)仕方を見るのは感動ものでした」
Part 2
時がたつにつれて、生活の苦しい生徒のお手伝いをすることが自分の本当の天職だと、アーネルさんは悟りました。2004年、アーネルさんは給料の良かった仕事をやめて、ロザリオに戻りました。「僕には正式な教育計画はなかった。僕の目的はとても基本的なものでした――ストリートチルドレンをタダで教えることでした」
アーネルさんはその地域の教会の脇にある大きな木の下で非正規の授業をし始めました。徐々に、アーネルさんの活気に富んだ教え方は、ますますたくさんのストリートチルドレンを引きつけるようになりました。「僕は読み書きそろばんに道徳の基礎をみんなに教えたんです」とアーネルさんは話します。
アーネルさんは活動(範囲)を広げて、ロザリオから遠くはない貧しい地域まで歩いて行ったり、通りすがりの車にタダで乗せてもらって行ったりしました。公園やバスケットボールのコートで授業をしたものでした。場所が見つけられればどこででも教えたものでした。収支を合わせるために、アーネルさんは個人授業にお金を払えるもっとたくさんの子供たちに教え始めました。
アーネルさんはすぐにロザリオで有名になりました。なぜアーネルさんが黒板を運びながら歩き回って、そんなにも情熱的に貧しい子供たちを教えているのか、みんな不思議に思いました。
Part 3
2009年6月、アーネルさんは近所の人から大きなサイドカーのついた自転車を借りて、その自転車に「チャリ学校」という名前をつけました。サイドカーにはとても小さな木製の机1つに、教科書に、学用品が積まれ、前の方に取りつけられた黒板にはアーネルさんのモットーが書かれています――「教育を受けるのはどこでも可能です。英知と進歩への道です」
自転車のおかげでアーネルさんは、ギャング同士の抗争で有名なホームレスの人がいっぱいいる場所のような遠く離れた地域でも訪問できました。「アーネルさんは野外教室を作って、週3日授業に出てくるように十代の若者を招待したのよ。何年も学校に通ってない子が多かったのよ」と、その地域で働く帳簿係のマリーナ・エリゴーヨさんは回想します。
アーネルさんは44歳で、兄弟で一緒に暮らしているのですが、学校に通っていない若者たちが高校の卒業証書と同等の資格を手に入れるのを手助けする大人の教育も提供しています。アーネルさんは外部の資金提供を一切受けていませんが、生徒のための学用品や食べ物の寄付は受け入れています。アーネルさんは自分は裕福な人間ではないけれど、自分の仕事それ自体が報酬なのです(→自分がやっていること自体が満足感を与えてくれているのです)と言います。「貧しい中で暮らしている、できるだけたくさんの子供たちと大人たちに質の良い教育を提供したいと思っています。だれもがみんなチャンスを手にすべきです」
Teacher on Wheels
チャリ先生
Armed with a chalkboard and a bicycle, this educator goes wherever he’s needed.
黒板と自転車を用意して、この教師は必要とされるところならどこにでも行っちゃいます。
Part 1
アーネル・ラプランは貧しいときに質の良い教育を受けることがいかに大変か知っています。アーネルさんは、(首都)マニラから30kmのところにあるゴミゴミした町ロザリオで育ちました。1970年にパパが死んでからは、5歳のアーネルさんは家族を支えるのを手伝うために屋台で働かなければいけませんでした。
アーネル少年が学校に行きたがったので、ママはついに(折れて)家の近くの公立の学校に行かせてくれました。「僕は勉強できて幸せだったけど、学校に行く前に家事を全部やるために(それまでよりも)もっと早く起きなきゃいけなくって、生活は(前よりも)きつくなりました」とアーネルさんは語ります。
アーネルさんは、こなさなければいけない仕事が一杯あって疲れ果てていました。そんなわけで、5年生になるまでには、もうやめてしまおうとしていました。そのときです、先生がアーネルさんの人生を変えるようなことを言いました。「ある日、先生はクラスに向かって、もし勉強すれば、みんな成功するんだよと言いました。この一言で僕は(それまでより)もっと一生懸命に勉強するようになりました」と、アーネルさんは言います。
アーネルさんはクラスでトップ(の成績)で高校を卒業して、マニラにあるフィリピン・ノーマル大学から奨学金を受け、1985年に教育の学位をとって卒業しました。アーネルさんはマニラの私立男子校で数学を教える仕事に就きました。夜には学校の成人クラスで教えるボランティアをしました。アーネルさんは次のように説明しています。「こうした(夜間の)授業に出席する大人の人は、貧しい家庭出身で、まだ小さいときには、学校に行く代わりに働かなければいけなかったんです。みなさん(成人)の年齢になって高校の教育を受けるために、どれほど一生懸命に勉強するか、その(勉強の)仕方を見るのは感動ものでした」
Part 2
時がたつにつれて、生活の苦しい生徒のお手伝いをすることが自分の本当の天職だと、アーネルさんは悟りました。2004年、アーネルさんは給料の良かった仕事をやめて、ロザリオに戻りました。「僕には正式な教育計画はなかった。僕の目的はとても基本的なものでした――ストリートチルドレンをタダで教えることでした」
アーネルさんはその地域の教会の脇にある大きな木の下で非正規の授業をし始めました。徐々に、アーネルさんの活気に富んだ教え方は、ますますたくさんのストリートチルドレンを引きつけるようになりました。「僕は読み書きそろばんに道徳の基礎をみんなに教えたんです」とアーネルさんは話します。
アーネルさんは活動(範囲)を広げて、ロザリオから遠くはない貧しい地域まで歩いて行ったり、通りすがりの車にタダで乗せてもらって行ったりしました。公園やバスケットボールのコートで授業をしたものでした。場所が見つけられればどこででも教えたものでした。収支を合わせるために、アーネルさんは個人授業にお金を払えるもっとたくさんの子供たちに教え始めました。
アーネルさんはすぐにロザリオで有名になりました。なぜアーネルさんが黒板を運びながら歩き回って、そんなにも情熱的に貧しい子供たちを教えているのか、みんな不思議に思いました。
Part 3
2009年6月、アーネルさんは近所の人から大きなサイドカーのついた自転車を借りて、その自転車に「チャリ学校」という名前をつけました。サイドカーにはとても小さな木製の机1つに、教科書に、学用品が積まれ、前の方に取りつけられた黒板にはアーネルさんのモットーが書かれています――「教育を受けるのはどこでも可能です。英知と進歩への道です」
自転車のおかげでアーネルさんは、ギャング同士の抗争で有名なホームレスの人がいっぱいいる場所のような遠く離れた地域でも訪問できました。「アーネルさんは野外教室を作って、週3日授業に出てくるように十代の若者を招待したのよ。何年も学校に通ってない子が多かったのよ」と、その地域で働く帳簿係のマリーナ・エリゴーヨさんは回想します。
アーネルさんは44歳で、兄弟で一緒に暮らしているのですが、学校に通っていない若者たちが高校の卒業証書と同等の資格を手に入れるのを手助けする大人の教育も提供しています。アーネルさんは外部の資金提供を一切受けていませんが、生徒のための学用品や食べ物の寄付は受け入れています。アーネルさんは自分は裕福な人間ではないけれど、自分の仕事それ自体が報酬なのです(→自分がやっていること自体が満足感を与えてくれているのです)と言います。「貧しい中で暮らしている、できるだけたくさんの子供たちと大人たちに質の良い教育を提供したいと思っています。だれもがみんなチャンスを手にすべきです」
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